P--903 P--904 P--905 #1歎異抄 歎異抄 #2序 窃廻愚案粗勘古今歎異先師口伝之真信思有後学相続之疑惑幸不依有縁知識者 争得入易行一門哉全以自見之覚語莫乱他力之宗旨仍故親鸞聖人御物語之趣所留耳 底聊注之偏為散同心行者之不審也[云々] #21 (1) 一 弥陀の誓願不思議に たすけられ まひらせて 往生をは とくるなりと 信して 念仏 まふさんと  おもひ たつ こゝろの おこるとき すなはち 摂取不捨の 利益に あつけしめ たまふなり 弥陀 の本願には 老少善悪のひとを えらはれす たゝ信心を 要とすと しるへし そのゆへは 罪悪深重 煩悩熾盛の 衆生を たすけんかための 願にまします しかれは 本願を信せんには 他の善も 要に あらす 念仏にまさるへき 善なきゆへに 悪をもおそるへからす 弥陀の本願を さまたくるほとの  悪なきゆへにと[云々] #22 (2) 一 おの〜の十余ケ国の さかひをこえて 身命をかへりみすして たつねきたらしめたまふ 御こゝろ P--906 さし ひとへに 往生極楽の みちをとひ きかんかためなり しかるに 念仏よりほかに 往生のみち をも存知し また法文等をも しりたるらんと こゝろにくゝ おほしめして おはしましてはんへらん は おほきなる あやまりなり もししからは 南都北嶺にも ゆゝしき学生たち おほく座せられて  さふらうなれは かのひとにも あひたてまつりて 往生の要 よく〜きかるへきなり 親鸞におきて は たゝ念仏して 弥陀にたすけられ まひらすへしと よきひとの おほせを かふりて 信するほか に 別の子細なきなり 念仏は まことに 浄土にむまるゝたねにてやはんへらん また地獄におつへき 業にてや はんへるらん 総してもて 存知せさるなり たとひ法然聖人に すかされ まひらせて 念 仏して 地獄におちたりとも さらに 後悔すへからす さふらう そのゆへは 自余の行も はけみて  仏になるへかりける身か 念仏をまふして 地獄にもおちて さふらはゝこそ すかされ たてまつりて といふ 後悔もさふらはめ いつれの行も およひかたき 身なれは とても地獄は 一定 すみかそか し 弥陀の本願 まことにおはしまさは 釈尊の説教 虚言なるへからす 仏説まことにおはしまさは  善導の御釈 虚言したまふ へからす 善導の御釈 まことならは 法然のおほせ そらことならんや  法然のおほせ まことならは 親鸞か まふすむね またもて むなしかるへからす さふらう歟 詮す るところ 愚身の信心に おきては かくのことし このうへは 念仏をとりて 信したてまつらんとも  またすてんとも 面々の御はからひなりと[云々] P--907 #23 (3) 一 善人なをもて 往生をとく いはんや 悪人をや しかるを 世のひと つねにいはく 悪人なを往生 す いかにいはんや 善人をや この条 一旦そのいはれ あるににたれとも 本願他力の 意趣にそむ けり そのゆへは 自力作善のひとは ひとへに 他力をたのむ こゝろ かけたるあひた 弥陀の本願 にあらす しかれとも 自力のこゝろを ひるかへして 他力をたのみ たてまつれは 真実報土の 往 生をとくるなり 煩悩具足のわれらは いつれの行にても 生死をはなるゝこと あるへからさるを あ はれみたまひて 願をおこしたまふ本意 悪人成仏のためなれは 他力をたのみ たてまつる悪人 もと も往生の 正因なり よて 善人たにこそ往生すれ まして悪人はと おほせさふらひき #24 (4) 一 慈悲に 聖道浄土の かはりめあり 聖道の慈悲といふは ものをあはれみ かなしみ はくゝむなり  しかれとも おもふかことく たすけとくることきはめて ありかたし 浄土の慈悲といふは 念仏して  いそき仏になりて 大慈大悲心をもて おもふかことく 衆生を利益するを いふへきなり 今生に い かにいとをし 不便とおもふとも 存知のことく たすけかたけれは この慈悲 始終なし しかれは  念仏まふすのみそ すえとをりたる 大慈悲心にて さふらうへきと[云々] #25 (5) 一 親鸞は 父母の孝養の ためとて 一返にても 念仏まふしたること いまたさふらはす そのゆへは  一切の有情は みなもて 世々生々の 父母兄弟なり いつれも〜 この順次生に 仏になりて たす けさふらうへきなり わかちからにて はけむ善にても さふらはゝこそ 念仏を廻向して 父母をも  P--908 たすけさふらはめ たゝ自力をすてゝ いそきさとりを ひらきなは 六道四生のあひた いつれの業苦 に しつめりとも 神通方便をもて まつ有縁を 度すへきなりと[云々] #26 (6) 一 専修念仏の ともからの わか弟子 ひとの弟子といふ 相論のさふらうらんこと もてのほかの子細 なり 親鸞は 弟子一人も もたすさふらう そのゆへは わかはからひにて ひとに念仏を まふさせ さふらはゝこそ 弟子にてもさふらはめ 弥陀の御もよほしに あつかて 念仏まふし さふらうひとを  わか弟子と まふすこと きはめたる 荒涼のことなり つくへき縁あれは ともなひ はなるへき縁あ れは はなるゝことの あるをも 師をそむきて ひとにつれて 念仏すれは 往生すへからさる もの なりなんといふこと 不可説なり 如来より たまはりたる信心を わかものかほに とりかへさんと  まふすにや かへす〜も あるへからさることなり 自然のことはりに あひかなはゝ 仏恩をもしり また師の恩をも しるへきなりと[云々] #27 (7) 一 念仏者は 無礙の一道なり そのいはれ いかんとならは 信心の行者には 天神地祇も敬伏し 魔界 外道も 障礙することなし 罪悪も 業報を感すること あたはす 諸善も およふこと なきゆへなり と[云々] #28 (8) 一 念仏は 行者のために 非行非善なり わかはからひにて 行するにあらされは 非行といふ わかは からひにて つくる善にもあらされは 非善といふ ひとへに 他力にして 自力をはなれたるゆへに  P--909 行者のためには 非行非善なりと[云々] #29 (9) 一 念仏まふし さふらへとも 踊躍歓喜のこゝろ おろそかに さふらふこと またいそき浄土へ まひ りたきこゝろの さふらはぬは いかにと さふらうへき ことにて さふらうやらんと まふしいれて  さふらひしかは 親巒も この不審ありつるに 唯円房 おなしこゝろにてありけり よく〜 案しみ れは 天におとり 地におとるほとに よろこふへきことを よろこはぬにて いよ〜 往生は一定  おもひたまふなり よろこふへきこゝろを おさへて よろこはさるは 煩悩の所為なり しかるに 仏  かねてしろしめして 煩悩具足の凡夫と おほせられたることなれは 他力の悲願は かくのことし わ れらか ためなりけりと しられて いよ〜 たのもしく おほゆるなり また浄土へ いそきまひりた き こゝろのなくて いさゝか 所労のこともあれは 死なんするやらんと こゝろほそく おほゆるこ とも 煩悩の所為なり 久遠劫より いまゝて流転せる 苦悩の旧里は すてかたく いまたむまれさる  安養浄土は こひしからす さふらふこと まことに よく〜 煩悩の興盛に さふらうにこそ なこ りおしく おもへとも 娑婆の縁つきて ちからなくして おはるときに かの土へは まひるへきなり  いそきまひりたき こゝろなきものを ことにあはれみ たまふなり これにつけてこそ いよ〜  大悲大願は たのもしく 往生は決定と 存しさふらへ 踊躍歓喜の こゝろもあり いそき浄土へも  まひりたく さふらはんには 煩悩のなきやらんと あしく さふらひなましと[云々] P--910 #210 (10) 一 念仏には 無義をもて義とす 不可称 不可説 不可思議のゆへにと おほせさふらひき そも〜  かの御在生のむかし おなしく こゝろさしをして あゆみを 遼遠の洛陽にはけまし 信をひとつにし て 心を当来の報土に かけしともからは 同時に 御意趣を うけたまはりしかとも そのひと〜に ともなひて 念仏まふさるゝ老若 そのかすをしらす おはしますなかに 上人のおほせにあらさる 異 義ともを 近来は おほくおほせられ あふてさふらうよし つたへうけたまはる いはれなき 条々の 子細のこと #211 (11) 一 一文不通の ともからの 念仏まふすにあふて なんちは 誓願不思議を信して 念仏まふすか また  名号不思議を 信するかと いひおとろかして ふたつの不思議を 子細をも 分明にいひひらかすして  ひとのこゝろを まとはすこと この条 かへす〜も こゝろをとゝめて おもひわくへきことなり  誓願の不思議によりて やすくたもち となへやすき 名号を案し いたしたまひて この名字を とな へんものを むかへとらんと 御約束あることなれは まつ弥陀の 大悲大願の 不思議にたすけられ  まひらせて 生死をいつへしと信して 念仏のまふさるゝも 如来の御はからひなりと おもへは すこ しも みつからの はからひ ましはらさるかゆへに 本願に相応して 実報土に 往生するなり これ は誓願の不思議を むねと信したてまつれは 名号の不思議も 具足して 誓願名号の不思議 ひとつに して さらに ことなることなきなり つきに みつからの はからひを さしはさみて 善悪のふたつ P--911 につきて 往生のたすけさはり 二様におもふは 誓願の不思議をは たのますして わかこゝろに 往 生の業を はけみて まふすところの念仏をも 自行になすなり このひとは 名号の不思議をも また  信せさるなり 信せされとも 辺地懈慢 疑城胎宮にも 往生して 果遂の願のゆへに つゐに報土に生 するは 名号不思議の ちからなり これすなはち 誓願不思議のゆへなれは たゝひとつなるへし #212 (12) 一 経釈をよみ 学せさるともから 往生不定のよしのこと この条 すこふる 不足言の義と いひつへ し 他力真実のむねを あかせる もろ〜の正教は 本願を信し 念仏をまふさは 仏になる そのほ か なにの学問かは 往生の要なるへきや まことに このことはりに まよへらんひとは いかにも〜 学問して 本願のむねを しるへきなり 経釈をよみ 学すといへとも 聖教の本意を こゝろえさる条  もとも不便のことなり 一文不通にして 経釈のゆくちも しらさらんひとの となへやすからんための 名号に おはしますゆへに 易行といふ 学問をむねとするは 聖道門なり 難行となつく あやまて  学問して 名聞利養の おもひに住するひと 順次の往生 いかゝあらんすらんといふ 証文も さふら うへきや 当時専修念仏のひとゝ 聖道門のひと 法論をくわたてゝ わか宗こそ すくれたれ ひとの 宗は おとりなりと いふほとに 法敵もいてきたり 謗法もおこる これしかしなから みつから わ か法を破謗するにあらすや たとひ 諸門こそりて 念仏は かひなきひとの ためなり その宗あさし  いやしといふとも さらに あらそはすして われらかことく 下根の凡夫 一文不通のものゝ 信すれ P--912 は たすかるよし うけたまはりて 信しさふらへは さらに 上根のひとのためには いやしくとも  われらかためには 最上の法にてまします たとひ 自余の教法 すくれたりとも みつからかためには  器量およはされは つとめかたし われもひとも 生死をはなれんことこそ 諸仏の御本意にて おはし ませは 御さまたけ あるへからすとて にくひ気せすは たれのひとかありて あたをなすへきや か つは諍論のところには もろ〜の煩悩おこる 智者遠離すへきよしの 証文さふらふにこそ 故聖人の おほせには この法をは 信する衆生もあり そしる衆生もあるへしと 仏ときおかせ たまひたる こ となれは われは すてに信したてまつる またひとありて そしるにて 仏説まことなりけりと しら れさふらう しかれは 往生は いよ〜 一定と おもひたまふなり あやまて そしるひとの さふ らはさらんにこそ いかに 信するひとは あれとも そしるひとの なきやらんとも おほへさふらひ ぬへけれ かくまふせはとて かならす ひとに そしられんとにはあらす 仏のかねて 信謗ともに  あるへきむねを しろしめして ひとのうたかひを あらせしと ときおかせ たまふことを まふすな りとこそ さふらひしか いまの世には 学文して ひとのそしりをやめ ひとへに 論義問答 むねと せんと かまへられ さふらうにや 学問せは いよ〜 如来の御本意をしり 悲願の広大の むねを も存知して いやしからん身にて 往生はいかゝなんと あやふまんひとにも 本願には 善悪浄穢なき  おもむきをも とききかせられ さふらはゝこそ 学生のかひにても さふらはめ たま〜 なにこゝ P--913 ろもなく 本願に 相応して 念仏するひとをも 学文してこそなんと いひをとさるゝこと 法の魔障 なり 仏の怨敵なり みつから 他力の信心 かくるのみならす あやまて 他をまよはさんとす つゝ しんて おそるへし 先師の御こゝろに そむくことを かねてあはれむへし 弥陀の本願に あらさる ことを #213 (13) 一 弥陀の本願 不思議に おはしませはとて 悪をおそれさるは また本願ほこりとて 往生かなふへか らすと いふこと この条 本願をうたかふ 善悪の宿業を こゝろえさるなり よきこゝろのおこるも  宿善のもよほすゆへなり 悪事のおもはれ せらるゝも 悪業のはからふゆへなり 故聖人の おほせに は 卯毛羊毛の さきにいる ちりはかりも つくるつみの 宿業にあらすと いふことなしと しるへ しと さふらひき またあるとき 唯円房は わかいふことをは 信するかと おほせの さふらひしあひた さんさふらう と まふしさふらひしかは さらは いはんこと たかふましきかと かさねて おほせの さふらひし あひた つゝしんて 領状まふして さふらひしかは たとへは ひと千人ころしてんや しからは 往 生は一定すへしと おほせさふらひしとき おほせにては さふらへとも 一人も この身の 器量にて は ころしつへしとも おほへす さふらうと まふして さふらひしかは さては いかに親巒か い ふことを たかふましきとは いふそと これにてしるへし なにことも こゝろに まかせたる こと P--914 ならは 往生のために 千人ころせと いはんに すなはち ころすへし しかれとも 一人にても か なひぬへき 業縁なきによりて 害せさるなり わかこゝろの よくて ころさぬにはあらす また害せ しと おもふとも 百人千人を ころすことも あるへしと おほせの さふらひしかは われらか こ ゝろの よきをは よしとおもひ あしきことをは あしとおもひて 願の不思議にて たすけたまふと いふことを しらさることを おほせの さふらひしなり そのかみ 邪見におちたる ひとあて 悪を つくりたるものを たすけんといふ 願にてましませはとて わさと このみて 悪をつくりて 往生の 業と すへきよしをいひて やう〜に あしさまなることの きこへさふらひしとき 御消息に くす りあれはとて 毒をこのむへからすと あそはされて さふらふは かの邪執を やめんかためなり ま たく 悪は往生の さはりたるへしとにはあらす 持戒持律にてのみ 本願を信すへくは われら いか てか 生死をはなるへきやと かゝるあさましき身も 本願にあひ たてまつりてこそ けにほこられさ ふらへ されはとて 身にそなへさらん悪業は よもつくられ さふらはしものを またうみかわに あ みをひき つりをして 世をわたるものも 野やまに しゝをかり とりをとりて いのちを つくとも からも あきなゐをし 田畠をつくりて すくるひとも たゝおなしことなりと さるへき業縁の もよ ほさは いかなるふるまひも すへしとこそ 聖人はおほせさふらひしに 当時は後世者ふりして よか らんものはかり 念仏まふすへき やうに あるひは 道場にわりふみをして なむ〜のこと したらん  P--915 ものをは 道場へいるへからす なんとゝいふこと ひとへに 賢善精進の相を ほかにしめして うち には 虚仮をいたけるものか 願にほこりて つくらんつみも 宿業のもよほすゆへなり されは よき ことも あしきことも 業報にさしまかせて ひとへに 本願をたのみ まひらすれはこそ 他力にては さふらへ 唯信抄にも 弥陀いかはかりの ちからましますと しりてか 罪業のみなれは すくはれか たしと おもふへきと さふらうそかし 本願にほこるこゝろの あらんにつけてこそ 他力をたのむ  信心も決定しぬへき ことにてさふらへ おほよそ 悪業煩悩を 断しつくしてのち 本願を信せんのみ そ 願にほこる おもひもなくて よかるへきに 煩悩を断しなは すなはち仏になり 仏のためには  五劫思惟の願 その詮なくや ましまさん 本願ほこりと いましめらるゝ ひと〜も 煩悩不浄 具 足せられてこそ さふらうけなれ それは 願ほこらるゝに あらすや いかなる悪を 本願ほこりとい ふ いかなる悪か ほこらぬにて さふらうへきそや かへりて こゝろをさなきことか #214 (14) 一 一念に 八十億劫の 重罪を滅すと 信すへしといふこと この条は 十悪五逆の罪人 日ころ念仏を  まふさすして 命終のとき はしめて 善知識の をしへにて 一念まふせは 八十億劫のつみを滅し  十念まふせは 十八十億劫の 重罪を滅して 往生すといへり これは 十悪五逆の軽重を しらせんか ために 一念十念といへるか 滅罪の利益なり いまた われらか 信するところに およはす そのゆ へは 弥陀の光明に てらされ まひらするゆへに 一念発起するとき 金剛の信心を たまはりぬれは  P--916 すてに 定聚のくらゐに おさめしめたまひて 命終すれは もろ〜の 煩悩悪障を転して 無生忍を  さとらしめ たまふなり この悲願 ましまさすは かゝるあさましき罪人 いかてか 生死を解脱すへ きと おもひて 一生のあひた まふすところの念仏は みなこと〜く 如来大悲の 恩を報し 徳を 謝すと おもふへきなり 念仏まふさんことに つみをほろほさんと信せんは すてに われとつみをけ して 往生せんと はけむにてこそ さふらうなれ もししからは 一生のあひた おもひとおもふこと  みな生死のきつなに あらさることなけれは いのちつきんまて 念仏退転せすして 往生すへし たゝ し 業報かきりあることなれは いかなる不思議の ことにもあひ また病悩苦痛をせめて 正念に住せ すして をはらん 念仏まふすことかたし そのあひたの つみをは いかゝして 滅すへきや つみき えされは 往生はかなふへからさるか 摂取不捨の願を たのみたてまつらは いかなる 不思議ありて  罪業をおかし 念仏まふさすして をはるとも すみやかに 往生をとくへし また念仏の まふされん も たゝいま さとりを ひらかんする期の ちかつくにしたかひても いよ〜 弥陀をたのみ 御恩 を報し たてまつるにてこそ さふらはめ つみを滅せんと おもはんは 自力のこゝろにして 臨終正 念と いのるひとの 本意なれは 他力の信心 なきにて さふらうなり #215 (15) 一 煩悩具足の 身をもて すてに さとりを ひらくと いふこと この条 もてのほかの ことにさふ らう 即身成仏は 真言秘教の本意 三蜜行業の証果なり 六根清浄は また法花一乗の所説 四安楽の P--917 行の感徳なり これみな 難行上根のつとめ 観念成就のさとりなり 来生の開覚は 他力浄土の宗旨  信心決定の通故なり これまた 易行下根のつとめ 不簡善悪の法なり おほよそ 今生においては 煩 悩悪障を 断せんこと きはめて ありかたきあひた 真言法花を行する浄侶 なをもて 順次生のさと りをいのる いかにいはんや 戒行恵解 ともになしといへとも 弥陀の願船に乗して 生死の苦海をわ たり 報土のきしに つきぬるものならは 煩悩の黒雲 はやくはれ 法性の覚月 すみやかに あらは れて 尽十方の 無礙の光明に 一味にして 一切の衆を 利益せんときにこそ さとりにては さふら へ この身をもて さとりをひらくと さふらうなるひとは 釈尊のことく 種々の応化の 身をも現し  三十二相 八十随形好をも 具足して 説法利益 さふらうにや これをこそ 今生に さとりをひらく 本とは まふしさふらへ 和讃にいはく 金剛堅固の信心の さたまるときをまちゑてそ 弥陀の心光摂 護して なかく生死をへたてけるとは さふらうは 信心のさたまるときに ひとたひ摂取して すてた まはされは 六道に輪廻すへからす しかれは なかく生死をは へたてさふらうそかし かくのことく しるを さとるとは いひまきらかすへきや あはれにさふらうをや 浄土真宗には 今生に本願を信し て かの土にして さとりをは ひらくと ならひさふらうそとこそ 故聖人の おほせには さふらひ しか #216 (16) 一 信心の行者 自然にはらをもたて あしさまなることをもおかし 同朋同侶にもあひて 口論をもして P--918 は かならす 廻心すへしといふこと この条 断悪修善のこゝちか 一向専修のひとにおいては 廻心 といふこと たゝひとたひあるへし その廻心は 日ころ本願他力真宗を しらさるひと 弥陀の智慧を  たまはりて 日ころのこゝろにては 往生かなふへからすと おもひて もとのこゝろを ひきかへて  本願をたのみ まひらするをこそ 廻心とは まふしさふらへ 一切の事に あしたゆふへに 廻心して  往生をとけ さふらうへくは ひとのいのちは いつるいき いるほとを またすして をはることなれ は 廻心もせす 柔和忍辱の おもひにも 住せさらんさきに いのちつきは 摂取不捨の誓願は むな しくならせ おはしますへきにや くちには 願力をたのみ たてまつるといひて こゝろには さこそ 悪人を たすけんといふ願 不思議に ましますと いふとも さすか よからんものをこそ たすけた まはんすれと おもふほとに 願力をうたかひ 他力をたのみまひらする こゝろかけて 辺地の生を  うけんこと もとも なけきおもひ たまふへきことなり 信心さたまりなは 往生は 弥陀にはからは れ まひらせて することなれは わかはからひ なるへからす わろからんに つけても いよ〜  願力をあをき まひらせは 自然のことはりにて 柔和忍辱の こゝろも いてくへし すへて よろつ のことにつけて 往生には かしこきおもひを 具せすして たゝほれ〜と 弥陀の御恩の 深重なる こと つねはおもひいたしまひらすへし しかれは 念仏もまふされ さふらう これ自然なり わかは からはさるを 自然とまふすなり これすなはち 他力にてまします しかるを 自然といふことの 別 P--919 にあるやうに われものしりかほに いふひとの さふらうよし うけたまはる あさましく さふらう #217 (17) 一 辺地往生を とくるひと つゐには 地獄におつへしと いふこと この条 なにの証文に みへさふ らうそや 学生たつる ひとのなかに いひいたさるゝ ことにて さふらうなるこそ あさましくさふ らへ 経論正教をは いかやうに みなされて さふらうらん 信心かけたる行者は 本願をうたかふに  よりて 辺地に生して うたかひのつみを つくのひてのち 報土のさとりを ひらくとこそ うけたま はりさふらへ 信心の行者 すくなきゆへに 化土におほく すゝめいれられ さふらうを つゐにむな しく なるへしと さふらうなるこそ 如来に虚妄を まふしつけ まひらせられ さふらうなれ #218 (18) 一 仏法のかたに 施入物の 多少にしたかて 大小仏に なるへしといふこと この条 不可説なり々々  比興のことなり まつ仏に 大小の分量を さためんこと あるへからすさふらうか かの安養浄土の教 主の 御身量をとかれて さふらうも それは 方便報身の かたちなり 法性のさとりをひらひて 長 短方円の かたちにもあらす 青黄赤白黒の いろをもはなれなは なにをもてか 大小をさたむへきや  念仏まふすに 化仏をみたてまつると いふことの さふらうなるこそ 大念には大仏をみ 小念には小 仏をみると いへるか もしこのことはり なんとにはし ひきかけられ さふらうやらん かつはまた  檀波羅蜜の行とも いひつへし いかにたからものを 仏前にもなけ 師匠にも ほとこすとも 信心か けなは その詮なし 一紙半銭も 仏法のかたにいれすとも 他力にこゝろをなけて 信心ふかくは そ P--920 れこそ 願の本意にて さふらはめ すへて 仏法にことをよせて 世間の欲心もあるゆへに 同朋を  いひをとさるゝにや #2後序 右条々は みなもて 信心のことなるより ことおこり さふらうか 故聖人の御ものかたりに 法然聖 人の御とき 御弟子そのかす おはしけるなかに おなしく御信心のひとも すくなく おはしけるにこ そ 親巒 御同朋の 御なかにして 御相論のこと さふらひけり そのゆへは 善信か信心も 聖人の 御信心も ひとつなりと おほせのさふらひけれは 誓観房 念仏房なんと まふす御同朋達 もてのほ かに あらそひたまひて いかてか 聖人の御信心に 善信房の信心 ひとつには あるへきそと さふ らひけれは 聖人の御智慧才覚 ひろくおはしますに 一ならんと まふさはこそ ひかことならめ 往 生の信心においては またくことなることなし たゝひとつなりと 御返答ありけれとも なをいかてか その義あらんといふ 疑難ありけれは 詮するところ 聖人の御まへにて 自他の是非を さたむへきに て この子細を まふしあけけれは 法然聖人の おほせには 源空か信心も 如来よりたまはりたる信 心なり 善信房の信心も 如来よりたまはらせ たまひたる 信心なり されはたゝひとつなり 別の信 心にて おはしまさんひとは 源空かまひらんする 浄土へは よもまひらせ たまひさふらふはしと  おほせさふらひしかは 当時の一向専修の ひと〜のなかにも 親鸞の御信心に ひとつならぬ 御こ ともさふらうらんと おほへさふらふ いつれも〜 くりことにて さふらへとも かきつけさふらう P--921 なり 露命わつかに 枯草の身にかゝりて さふらうほとにこそ あひともなはしめ たまふひと〜  御不審をも うけたまはり 聖人のおほせの さふらひしおもむきをも まふしきかせ まひらせさふら へとも 閉眼ののちは さこそ しとけなき ことともにて さふらはんすらめと なけき存しさふらひ て かくのことくの義とも おほせられ あひさふらう ひと〜にも いひまよはされなんと せらる ゝことの さふらはんときは 故聖人の 御こゝろに あひかなひて 御もちゐさふらう 御聖教ともを  よく〜 御らんさふらうへし おほよそ 聖教には 真実権仮ともに あひましはり さふらうなり  権をすてゝ 実をとり 仮をさしおきて 真をもちゐるこそ 聖人の御本意にて さふらへ かまへて〜  聖教をみみたらせ たまふましく さふらう 大切の証文とも 少々ぬきいて まひらせさふらうて 目 やすにして この書に そえまひらせて さふらうなり 聖人のつねのおほせには 弥陀の五劫思惟の願 を よく〜案すれは ひとへに 親鸞一人か ためなりけり されは それほとの業を もちける身に て ありけるを たすけんと おほしめしたちける 本願のかたしけなさよと 御述懐さふらひしことを  いままた案するに 善導の 自身は これ現に罪悪生死の凡夫 曠劫よりこのかた つねにしつみ つねに 流転して 出離の縁 あることなき 身としれといふ 金言に すこしも たかはせ おはしまさす さ れは かたしけなく わか御身に ひきかけて われらか 身の罪悪の ふかきほとをもしらす 如来の 御恩の たかきことをも しらすして まよへるを おもひしらせんか ためにて さふらひけり まこ P--922 とに 如来の御恩と いふことをは さたなくして われもひとも よしあしといふことをのみ まふし あへり 聖人のおほせには 善悪のふたつ 総してもて 存知せさるなり そのゆへは 如来の御こゝろ に よしとおほしめすほとに しりとをしたらはこそ よきをしりたるにてもあらめ 如来のあしと お ほしめすほとに しりとほしたらはこそ あしさを しりたるにてもあらめと 煩悩具足の凡夫 火宅無 常の世界は よろつのこと みなもて そらこと たわこと まことあることなきに たゝ念仏のみそ  まことにて おはしますとこそ おほせは さふらひしか まことに われもひとも そらことをのみ  まふしあひ さふらふなかに ひとつ いたましきことの さふらうなり そのゆへは 念仏まふすにつ いて 信心のおもむきをも たかひに問答し ひとにも いひきかするとき ひとのくちをふさき 相論 をたゝんかために またく おほせにてなきことをも おほせとのみ まふすことあさましく なけき存 し さふらうなり このむねを よく〜 おもひとき こゝろえらるへき ことにさふらう これさら に わたくしのことはに あらすといへとも 経釈のゆくちもしらす 法文の浅深を こゝろえわけたる ことも さふらはねは さためて おかしきことにてこそ さふらはめとも 古親鸞の おほせこと さ ふらひし おもむき 百分か一 かたはしはかりをも おもひいてまひらせて かきつけさふらうなり  かなしきかなや さひはひに 念仏しなから 直に報土にむまれすして 辺地にやとをとらんこと 一室 の行者のなかに 信心ことなること なからんために なく〜ふてをそめて これをしるす なつけて  P--923 歎異抄と いふへし 外見あるへからす #2流罪記録  後鳥羽院之御宇法然聖人他力本願念仏宗を興行す 于時興福寺僧侶敵奏之上御弟子中狼藉子細あるよし  無実風聞によりて罪科に処せらるゝ人数事  一 法然聖人并御弟子七人流罪又御弟子四人死罪におこなはるゝなり 聖人は土佐国[番多]といふ所へ流罪  々名藤井元彦男[云々] 生年七十六歳なり  親巒は越後国罪名藤井善信[云々] 生年三十五歳なり  浄聞房 [備後国]  澄西禅光房 [伯耆国]  好覚房 [伊豆国]  行空法本房 [佐渡国]  幸西成覚房善恵房二人同遠流にさたまる しかるに無動寺之善題大僧正これを申あつかると[云々]  遠流之人々已上八人なりと[云々]  被行死罪人々  一番  西意善綽房  二番  性願房  三番  住蓮房  四番  安楽房 P--924  二位法印尊長之沙汰也  親鸞改僧儀賜俗名仍非僧非俗然間以禿字為姓被経奏聞了 彼御申状于今外記庁に納  と[云々] 流罪以後愚禿親鸞令書給也 #1歎異抄     [右斯聖教者為当流大事聖教也 於無宿善機無左右不可許之者也]                             [釈蓮如(花押)]